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〔ウラン型核爆弾〕 |
北朝鮮が核兵器を保有するようになった現在、日本は二度の原爆投下という核爆弾の脅威に晒されている。 |
ロシア | 7500 |
米国 | 7260 |
フランス | 300 |
中国 | 260 |
英国 | 215 |
パキスタン | 100~120 |
インド | 90~110 |
イスラエル | 80 |
北朝鮮 | 6~8 |
たった、1グラムのウランが石炭3トンものエネルギーに匹敵する核エネルギーを持つとされる。 |
更に、北朝鮮のような自制心のない国までもが核爆弾を持つようになり、これがいつ国際テロ組織に渡らないとも限らない時代となってしまった。 |
〔二種類の核爆弾〕 本題のウラン型核兵器の話に移ろう。周知の通り、核兵器は通常爆弾のような化学反応ではなく、原子核で起こる核分裂や核融合を利用した、瞬時にけた外れのエネルギーを放出する爆弾である。 核爆弾の代表的なものが、広島、長崎に投下された原子爆弾であるが、比較的単純な原子爆弾1個でも、TNT火薬に換算して1万トンほどの威力がある。近年の大型通常兵器の威力でさえも、広島や長崎に投下された原爆の僅か1%にも及ばないのだから、原爆の威力が如何に凄まじいか理解できよう。 核爆弾は、大きく分類すると、核分裂を利用した原子爆弾と、核融合を利用した水素爆弾に大別される。更に、原子爆弾は高濃縮ウランを用いたウラン型原爆と、プルトニウムを用いたプルトニウム爆弾とに分かれる。 |
〔核爆弾の臨界質量〕 これらの物質を一定量集めて塊を作れば、自発的に急激な核分裂の連鎖反応を起こし、核爆発してしまう。このような物質を一定量製造しさえすれば、もう核爆弾はできてしまうのである。連鎖反応を起こす最低限の量を「臨界質量」と呼び、ウラン235なら46.5キログラム、プルトニウム239なら10.1キログラムあれば十分である。これだけの量を集めれば自発的に爆発してしまいます。 しかし、核爆弾の場合、球体の中心部に核物質をおき、その周囲から通常火薬を爆発させて均一に圧力を加える爆縮を行うと、ウラン235の臨界質量は15キロとなり、プルトニウム239なら5キロとなります。このような工夫により、実質的な臨界質量は減少し、プルトニウムなら1キロちょっとで核爆弾はつくれるともいわれます。 |
〔広島型原爆の構造〕 ウラン型核爆弾は、左図に示すように、高純度に濃縮されたウランの臨界以上の量を、砲身の中で二つに分割して入れておけば完成する。使用する瞬間にそれらを一つに合わせれば核爆発を起こすのである。 二つの部分に分割されたウラン235の塊の左側に、通常爆薬を入れておき、使用するときに、この爆薬を爆発させると、左側のウランの塊が爆発圧力で右側に移動し、右側のウラン235と結合する。このような構造のために、ウラン型核爆弾は「ガン型」と呼ばれ、広島型原爆はこのタイプである。 |
〔核爆弾開発の歴史〕 第二次大戦以降、世界の強国は核爆弾や核ミサイルの開発を行い、現在では核兵器の数が3万発にもなってしまったが、現在までの核兵器をめぐる出来事を年代順にまとめてみた。 |
主な核爆弾の開発歴史 | |
1905年 | アインシュタインが特殊相対性原理を発表し、核の威力を発見 |
1938年 | ドイツのオットー・ハーンらが核分裂発見 |
1940年 | 米カリフォルニアでプルトニウム発見 |
1945年 7月 |
米国が初の核実験実施 |
1945年 8月 |
米国が広島、長崎に原爆投下、20万人死亡 |
1949年 9月 |
ソ連の核実験を米国が発表 |
1952年 10月 |
英国が初の核実験 |
1954年 3月 |
第五福竜丸が水爆実験の死の灰で被爆 |
1957年 7月 |
国際原子力機関IAEA設立 |
1960年 2月 |
フランスが初の核実験 |
1963年 8月 |
米英ソが部分的核実験禁止条約に調印 |
1964年 10月 |
中国が初の核実験 |
1968年 7月 |
核拡散防止条約NPT調印 |
1974年 5月 |
インドが初の核実験 |
1993年 3月 |
南アが過去の過去の核兵器製造と解体を公表 |
1995年 9月 |
フランスが核実験再開 |
1996年 9月 |
国連が核実験全面禁止条約CTBT採択 |
1998年 5月 |
インド、パキスタンが核実験 |
1998年 8月 |
北朝鮮テポドンの発射実験 |
2006年 7月 |
北朝鮮がテポドン2などのミサイル発射実験 |
2006年 10月 |
北朝鮮が核実験実施を発表 |