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モン・サン・ミシェル



 モン・サン・ミシェルは、フランス西海岸に浮かぶような小島に聳える修道院です。

 千年以上の歴史に彩られたカトリックの巡礼地となっている修道院で、神秘に包まれています。

 岩山に貼りつくようにして聳え立つ尖塔の夕日が映える姿が人々の羨望となり崇められています。


 カトリック巡礼地の中でも「西洋の驚異」と称され、1979年には「モンサンミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 この小島は、ノルマンディー地方南部・ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾にあります。

 この辺りの海は潮の干満の差がとても激しく、満ち潮と引き潮での差は15メートル以上もあります。

 そのため、その昔には、この島は満ち潮のときには海に浮かぶ孤島であり、引き潮のときには、自然が与えてくれる天然の陸橋として繋がっていました。

 巡礼地であるために、古来より多くの人々が訪れました。引き潮のときには、立派な陸路だったところも、潮が満ちる時刻が迫りくれば、海が津波のような猛烈な勢いで押し寄せ、海面の水位が上がりたちまちにして陸路は消えてしまいます。

 このため、引き潮のときに陸路を歩き渡ろうとした巡礼者たちの多くが、迫る時刻に逃げ遅れて波に飲み込まれて命を落としたのでした。

 「モン・サン・ミシェルに巡礼するなら、遺書を残して行け」といわれたという。

 その昔、汐が満ちれば出入りさえ困難な孤島として外界と断絶した小島にも、1877年に対岸との陸路が作られ、現在では巡礼者たちは、潮の干満に関わらず訪れることができるようになった。
 しかし、陸路が海を引き裂き潮流を堰きとめてしまったために、島の周囲には土砂が堆積してしまい、もはや古来よりの孤高とした姿が失われようとしています。古来の美しい姿を取り戻そうと、2009~2010年には人工の陸路は撤去され、橋によって繋げられる計画が実行されました。

 この驚くべき孤島の上に佇む修道院は何と900年もの歳月を要して建築されました。内部には複雑に入りくんだ迷路と回廊をもつこの建物は、その千年もの歴史を語るかのようにロマネスクからゴシックまでのさまざまな建築様式の美しさを見せてくれます。

 モン・サン・ミシェル修道院に行くには、パリから飛行機で370キロほど、日本でいえば東京~名古屋くらいの距離である。


モン・サン・ミシェルの歴史
それ以前  この小島には、古来より先住民のケルト人が住む島であった。彼らにとってこの島は信仰する聖地でありをモン・トンプ(墓の山)と呼び慣わしていた。

お告げ  708年、アvランシュ司教であったオベールは、夢の中で大天使ミカエルからのお告げを受ける。「小島に浮かぶ島に聖堂を建てなさい」と。

 オベールは初めはこの夢は悪魔のいたずらに違いないとして信じませんでした。しかし、同じ夢を三度も見ることになって、お告げを信じるようになったのでした。三度目の夢では、しびれを切らした大天使が、オベールの額に指を触れて命じると、稲妻が脳天を貫くのを感じました。夢から覚めやると、オベールは脳天の穴に気づき、お告げが本物だったとようやく気づいたのです。

 そして、この地に礼拝堂を造り、これがこの島が巡礼者のための島となる始まりとなりました。

ベネディクト修道院  966年、ノルマンディー公リチャード1世は、この島にベネディクト派の修道院を建てました。

 その後、増改築がなされ、13世紀には、ゴシック建築の傑作とされる教会が増築されて、ほぼ現在の姿となり、多くの巡礼者が訪れるカトリックの聖地としての地位を築くようになるのです。

それ以後  1337年から1453年までの116年間、フランスとイギリスとの間で戦われてきた百年戦争は、現在のフランスとイギリスの国境線を決定することになる戦争であった。この期間において、この小島は、英仏海峡に浮かぶ要塞の役目を果たしてきた。モン・サン・ミッシェルの入り口には、当時のイギリス軍が放棄していった大砲とその弾丸が残されている。

 18世紀末のフランス革命時には、修道院は廃止され、1863年までは監獄として使用されたが、1865年には、再び修道院として復活した。そして、19世紀に入り、陸路と鉄道で接続されたのです。

 その後、鉄道は廃止されたが、1979年のユネスコ世界遺産への登録もなされ、現在では、フランス西部有数の観光地として栄えている。現在、数名の修道士が在住し、10名近い修道女も近隣から通って運営にあたっている。