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〔911:アメリカ同時多発テロ事件〕



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 アメリカ合衆国の歴史の中に、アメリカ人たちの自尊心を傷つける残虐なテロ事件が二度だけ起こりました。

 一度目は1941年12月7日未明(現地時間)に起こりました。

 大日本帝国海軍による真珠湾奇襲攻撃でした。


 これは、同日早朝、空母6隻から発進した航空機354機が、宣戦布告のないままに、真珠湾を奇襲攻撃して甚大な被害を与えた事件でした。

 アメリカ人の自尊心を傷つけたこのテロ事件は、彼らの団結を強くし「真珠湾を忘れるな」という合言葉の下に、日本への報復を決意する日となったのでした。

 その結果、日本人は東京大空襲や原爆投下などの残忍な報復を招くこととなりました。


 二度目は、2001年9月11日にアメリカで発生した「アメリカ同時多発テロ事件」です。この日もまた、アメリカ人の自尊心と自信を根幹から揺さぶる日となりました。

 彼らをこれだけ怒らせたら、只では済ませないと固く決心させることになる複数のテロ事件が同時に発生したのです。

 世界の人々はこのテロ事件を「911テロ事件」とか「アメリカ同時多発テロ事件」と呼んでいます。


ハイジャック機の運命 ▼ハイジャックされた機の運命はどうなったのだろうか。
ハイジャック勃発
911アメリカ同時多発テロ事件写真(写真は「America under Attack」サイトより転載)

 2001年9月11日早朝、アメリカの各地を飛び立った4機のジャンボ機がほぼ同時刻に何者かにハイジャックされ、過酷な運命に遭遇することとなった。

 後に、これらを乗っ取ったハイジャッカーは、モハメド・アタを中心とするアラブ系グループと判明した。彼らは機をハイジャックすると、操縦室に侵入して機を操縦し、アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の2機をニューヨーク・マンハッタンに向かわせた。

 そして、アメリカン航空77便とユナイテッド航空93便の2機は、ワシントンD.C.へと向かわせた。

 ・アメリカン航空11便(ボストン空港発)
 ・ユナイテッド航空175便(ローガン空港発)
 ・アメリカン航空77便(ダレス国際空港発)
 ・ユナイテッド航空93便(ニューワーク空港発)

 ハイジャックされた4機の旅客機のうち3機は突入し、1機は墜落したが、乗客・乗員は、ハイジャッカーも含めて全員が死亡した。


アメリカン航空11便

 アメリカン航空11便、ロサンゼルス行きは、乗客81名、乗組員11名を乗せて、午前7時54分にボストン空港を離陸した。

ハイジャックの経過
午前8時14分頃

 突然ハイジャックされ、コックピットを占拠された。

午前8時23分

 進路を急に変更し、ニューヨークマンハッタン方面へと向かった。

時刻8時46分

 この運命の時刻、ツインタワーとして知られる二つの超高層ビル、ニューヨーク世界貿易センターの北棟上部に突入し大爆発炎上した。

 この状況は、偶然に貿易センタービル周辺でテレビ取材中であったカメラマンによって撮影された。

ユナイテッド航空175便

 ユナイテッド航空175便、ロサンゼルス行きは、乗客56名、乗員9名を乗せて、午前8時14分にボストン・ローガン空港から離陸した。

ハイジャックの経過
午前8時43分頃

 この機も、午前8時43分頃までに、ハイジャックされ、コックピットを占拠された。

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 まもなく、ニューヨークへと進路を変更した。

午前9時03分

 今度は、ツインタワーの南棟に突入し、爆発炎上した。

 この様子は多数の報道陣によって記録され、映像が配信された。

アメリカン航空77便

 アメリカン航空77便、ロサンゼルス行きは、乗客58名、乗員6名を乗せて、午前8時20分にワシントンDC・ダレス国際空港を離陸した。

ハイジャックの経過
8時50分頃

 この機も8時50分頃までにハイジャックされ、コックピットを占拠された。

---

 本来の進路を離脱し、何度となく進行方向を変更しながら飛行を続けた。

午前9時38分

 ペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)に突入し、爆発炎上した。

 この様子は、ペンタゴン駐車場に設置された監視カメラによって撮影された。

ユナイテッド航空93便

 ユナイテッド航空93便、サンフランシスコ行きは、乗客37名、乗員7名を乗せて、午前8時42分にニュージャージー州ニューワーク空港を離陸した。

ハイジャックの経過
午前9時27分

 この時刻頃、ハイジャックされ、コックピットを占拠されたらしい。

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 オハイオ州クリーブランド付近で進路を変更し、南東へと変え、ワシントンに向かうと管制官に通告した。この機の標的はホワイトハウスあるいはアメリカ合衆国議会議事堂と推測されるが定かではない。

午前9時57分

 携帯電話などで外部に連絡された内容から、このハイジャックが自爆テロと知った乗客が、反撃を企て、同機の奪回に乗り出したことが分かった。

午前10時03分

 しかし、その後どのような戦いがあったかは不明のまま、午前10時03分、同機はワシントンDC北西240キロ地点にある、ペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落炎上した。墜落時の速度は時速580マイル(時速933キロメートル)であった。

 反撃を企てた勇気ある乗客たちは、「Let's Roll(さあ、やろうぜ)」を合言葉にしたといわれる。

 公式報告書では、乗客たちはコックピットの奪回に成功せず、ハイジャッカーたちが、機を墜落させたとなっている。結果は残念なことであったが乗客たちの勇気を大いに讃えたいものである。


ハイジャッカーの狙い ▼ハイジャッカーの狙いは何だったのか考えてみたい。
航空機の訓練

 ハイジャックされた4機のジャンボにおけるコックピット内の操縦システムは、基本的に同一であった。

 後の調査によれば、犯人たちは米国内の民間航空学校で操縦法の基本を学び、ジャンボ機のフライトシミュレーターで訓練を受けていたことが分かっている。

東海岸の目的地

 乗っ取られた4機のジャンボの目的地が、全て西海岸の都市であったのは、アメリカ大陸横断線の機には、航空燃料積載量が満載されていることで、突入時の被害規模を拡大することを狙ったものと推測されている。


ツインタワーの崩壊 ▼二つの巨大なビル、ツインタワーが崩壊されました。
ツインタワーの崩壊

 ジャンボ機の突入により、ビル上層部は激しく損傷し炎上爆発した。激しい爆発と火炎の熱により、ビルの鉄骨は破断され、強度を失っていった。そして、二つのタワーは跡形もなく崩壊してしまったのである。

タワーの崩壊と犠牲者数
タワーの崩壊

 9時59分には、南棟が上層部から下層に向かって完全崩壊してしまった。そして、10時28分、北棟が完全崩壊し、かつて世界最高の威容を誇ったツインタワーが完全に崩壊消滅したのである。

 続いて敷地内にあった、他の4つのビルも崩落炎上した。さらにその周辺のビルも崩落したり被害を受けた。

犠牲者

 このテロ事件での犠牲者数は、ビルで働いていた人の他、多数の消防士たちも含めて2749人となった。内、日本人の犠牲者数は24名であった。

グラウンド・ゼロ

 世界貿易センター跡地は、その後、「グラウンド・ゼロ(爆心地)」、または、「ワールドトレードセンターサイト(跡地)」と呼ばれるようになった。

 その後、ニューヨーク州マンハッタン区のワールドトレードセンター(グラウンド・ゼロ)跡地には、新たに超高層ビルが建設され、2014年11月3日に開業した。

 そのビルの名は、次のように呼ばれている。

 ・One World Trade Center( 1 WTC)
 ・1 ワールドトレードセンター
 ・ワンワールドトレードセンター



その後に起こったこと ▼その後に起こったことをご説明します。
二つの戦争

 このテロ事件はこれで終わりではなかった。根深いテロ集団への戦いが延々と続いているのである。アメリカは未だに癒されることもなく、戦い続けているのた。

 このテロ事件の首謀者は、オサマ・ビンラディンをリーダーとする、アルカーイダと断定された。その後、アメリカ政府は、アフガニスタンへの侵攻作戦を開始し、アルカーイダ絶滅の戦いを行ったが、ビンラディンは取り逃がした。

 その後、アメリカは、2012年になってようやくビンラディンを仕留めたが、実に10年以上の歳月を必要としたのだった。

 アメリカとイスラム原理主義との戦いは、その後もアフガニスタンからイラクに飛び火し、フセイン政権を打倒するところまでいったが、イラクの秩序を回復することは出来ずに、その後も混沌とした状態が続いている。この間に、多くのアメリカ兵の血が流れた。

 アフガニスタン戦争、イラク戦争、アルカーイダ、そしてイスラム国に関することは、いずれ別のページで説明したい。