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〔う〕で始まる諺



 〔う〕で始まる〔諺〕には、多くのものがあります。これらの中で、次に示す諺などは真実を微妙に言い当てていて面白く、頻繁に耳にします。

 「雨後のたけのこ」
 「嘘から出たまこと」
 「売り言葉に買い言葉」
 「噂をすれば影がさす」


あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行
 
あいうえお
 
〔珠玉のことわざ〕
馬の耳に念仏
(うまのみみにねんぶつ)

 馬の耳に念仏とは、いくら教えを説いても、意見をしても全く効き目のないことのたとえ。

 いくら役に立つ話を聞かせたところで、まったく理解できない相手には何の効果もなく無駄なことだというもの。

 

諺 〔諺〕とその内容。
うお 〔魚心あれば水心〕
 (うおごころあればみずごころ)

 魚心あれば水心とは、相手が好意を示してくれるなら、こちらも好意を示して接しようというたとえ。

 水に棲む魚が、水に好意を示すなら、水もまたその魚に好意を持つことからでたことわざで、相手の出方によって、自分の行動を決めようとする意味で使われる。

 元来は、「肴に心あれば、水にも心あり」というものであったが、いつの間にか「魚心」と「水心」に簡略表現されるようになった。

うし 〔牛に引かれて善光寺参り〕
 (うしにひかれてぜんこうじまいり)

 牛に引かれて善光寺参りとは、思いもしなかったことや偶然の他人の誘いで、よい方に導かれることのたとえ。

 昔、善行寺付近に住んでいた不信心な老婆が、晒していた布を隣家の牛が角に引っ掛け走り出すのを見て、牛を追いかけていくうちに善光寺に辿り着き、それが切っ掛けとなって後に厚く信仰心を抱くようになったという言い伝えから。

 「牛に引かれて善光寺詣り」とも書かれる。

〔牛は牛連れ、馬は馬連れ〕
 (うしはうしづれ、うまはうまづれ )

 牛は牛連れ、馬は馬連れとは、似た者同士や気の合う仲間は自然に集まりやすいことのたとえ。また、そのような仲間同士で何かを行えば、自然とうまくいくというたとえ。

 本来、牛と馬は大きさが違うため、歩いても歩調が合わないが、牛同士や馬同士なら歩調もあい、仲良く連れ立って歩くことができることから。

 これはまた、「馬は馬連れ、牛は牛連れ」とか「馬は馬連れ、鹿は鹿連れ」と書かれることもある。更に簡単にして「牛は牛連れ」「馬は馬連れ」とも言われる。

〔氏より育ち〕
 (うじよりそだち)

 氏より育ちとは、人の人格は、家柄がよいだけで決まるものではなく、教育や環境によって良くも悪くもなるというたとえ。

 「氏」とは、生れた家の格式のことを指し、いわゆる血筋よりも、育った環境や境遇の方が人格形成には大事だというたとえ。

 「人は氏より育ち」とも書かれる。

〔牛を馬に乗り換える〕
 (うしをうまにのりかえる)

 牛を馬に乗り換えるとは、劣るものを捨て去り、より優れたものに切り替えることのたとえ。また、自分には不利なものから、より有利なものに乗り換えることのたとえ。

 牛歩というように歩みの遅い牛ではなく、走りの速い馬に乗り換えることから生れたたとえ。

うそ 〔有相執著〕
 (うそうしゅうじゃく)

 形ある現象の姿にとらわれる心。それらが一切皆空であることを悟らないで執着心を起こすこと。

〔嘘から出た実〕
 (うそからでたまこと)

 嘘から出たまこととは、嘘のつもりで言い出したことが、偶然のめぐり合わせで本当のことになってしまうたとえ。冗談で言ったことが、真実になってしまう偶然。

 これは、『江戸いろはかるた』の一つで、「嘘から出た真」とか「嘘から出た誠」とも書かれる。「嘘より出たまこと」ということもある。

〔嘘も方便〕
 (うそもほうべん)

 嘘も方便とは、嘘をつくのは良くないこととはいえ、時と場合により嘘をつくことが必要となることもあるということ。

 目的達成のためには、時には嘘をつくことも必要だとう意味。

 元来、「方便」とは、仏教用語で、一般民衆を真の教えに導くための仮の手段のことをいう。

うと 〔独活の大木〕
 (うどのたいぼく)

 独活の大木とは、図体ばかり大きくてものの役にも立たない人のたとえ。

 独活(ウド)とは野菜の一種のうどのことてある。その茎はとても太くなり、高さも2メートルにもなる。

 しかし、柔らかく弱いので建築用材などには到底使えないことから、ウドを人間に喩えて役立ずな者を意味するようになった。

うの 〔鵜の真似をする烏〕
 (うのまねをするからす)

 鵜の真似をする烏とは、自分の能力をよく考えもせず、みだりに人真似をすれば必ず失敗することのたとえ。

 鵜も烏も黒い鳥だが、鵜は潜水の名手であり、烏は泳ぎはできない。自分の姿が泳ぎ上手な鵜に似ているからといって、鵜のまねをして水に入り、魚を捕ろうとしても溺れるだけということから。

 「烏が鵜の真似」ともいう。

〔鵜の目鷹の目〕
 (うのめたかのめ)

 鵜や鷹が餌を求めて熱心に獲物を探そうとするさま。また、そのときの鋭い目つき。

 些細なことも見落とすまいと親権に探しだす様子やその目つきをいう。多くの場合、欠点や欠陥を探ろうとする様子に使うことが多い。

うま 〔馬の耳に念仏〕
 (うまのみみにねんぶつ)

 馬の耳に念仏とは、いくら教えを説いても、意見をしても全く効き目のないことのたとえ。

 馬にありがたい念仏を聞かせたところで、言葉も分からないのだから、そのありがたみが分かるわけもない。

うり 〔売り言葉に買い言葉〕
 (うりことばにかいことば)

 売り言葉に買い言葉とは、相手の暴言に応じて、同じような調子で言い返すことのたとえ。

 「売り言葉」とは、相手にわざと喧嘩を仕掛けるような言い方のことで、その暴言に堪えきれず、こちらもそれ相応の汚い言葉で言い返すことをいう。

 「売る言葉に買う言葉」とも書かれる。

〔瓜の蔓に茄子は生らぬ〕
 (うりのつるになすびはならぬ)

 瓜の蔓に茄子はならぬとは、ごく普通の親からは天才のような非凡な子は生まれないことのたとえ。

 瓜の蔓には瓜しかならず、茄子の木には茄子しかならないことから。

 「瓜の木に茄子は生らぬ」「瓜の種に茄子は生えぬ」ともいう。

うわ 〔噂をすれば影がさす〕
 (うわさをすればかげがさす)

 噂をすれば影がさすとは、知人の噂話をしていると、そこに当の噂の本人がひょっこり姿を現わすことがあるということ。

 人の噂や悪口はほどほどにしておかないと困ることもあるという戒めの意味合いもあることわざ。

 「噂をすれば影」「言えば影がさす」とも書かれる。

うん 〔雲泥の差〕
 (うんでいのさ)

 雲泥の差とは、非常に大きな違いがあること、驚くほどにかけ離れていることのたとえ。

 雲は天にあり、泥は地にありで、天と地ではとてつもなく大きな差異があるという意味から。

 「雲泥の違い」とも書かれる。